実家の茶の間 新たな出発18

地域の茶の間

*実家の茶の間 新たな出発(18)*

<活動7周年 歩みを振り返る節目⑤>

―「写真展、いよいよ始まるよ!」―

―みんなの力を結集、前日まで準備―

<13人で最後の仕上げ>

「どう?すごく良くなったでしょう。皆さんが頑張ってくれましたから」―新潟市の地域包括ケア推進モデルハウス「実家の茶の間・紫竹」運営委員会代表の河田珪子さんが弾んだ声で迎えてくれた。10月17日(日)のお昼前、活動7周年を記念する「写真展」の開幕を明日に控えた実家の茶の間では、河田さんをはじめ当番チームや地域のサポーターの皆さん13人が集まって、最後の準備を進めていた。

写真=10月17日の「実家の茶の間・紫竹」の玄関。サポーターと当番さんが最後の仕上げに余念がない

<周年事業の展示も準備完了>

玄関に入り周囲を見渡すと、写真展の準備もすっかり整っていた。玄関から見て正面には右から「開所前の準備風景」「1周年事業」から「6周年事業」までのパネルが貼られ、左脇の壁面には「7周年 2021年」のタイトルで大き目の写真が貼られていた。このコーナーは、今年の活動を切り取った写真を新潟医療福祉大学の先生が引き伸ばしてくれたものを活用した。写真が大きいだけに迫力がある。玄関から真っ直ぐの部屋は普段は事務室で使われている場所だが、前回のブログで紹介したように「地域の活動お知らせの部屋」となり、地域サポーターの皆さんがパネル展示などの準備を終えていた。

写真=座敷を囲む廊下には、このように実家の茶の間の活動がパネルになってズラリと並ぶ

利用者の皆さんが普段は寛いでいるお座敷を囲む廊下にも、写真パネルが数多く貼り出されていた。これまでも準備を進めていた「ある日の茶の間」のタイトル以外にも、地域共生社会を表す「赤ちゃんからお年寄りまで」のパネルが目に飛び込んでくる。さらに思い入れの強いテーマを取り出したのか、「雪おろし 家の修繕 木の剪定」や「当番研修・報告会」などが加わっている。「全国からの視察」のパネルにも数多くの写真が貼られている。これでも「全国からの視察・研修などのごくわずか」と言う。これだけでも「実家の茶の間・紫竹」の活動が、全国からいかに注目されてきたかが伝わるのではないか。

写真=活動を振り返るパネルには「ある日の茶の間」と並んで、「雪おろし・家の修繕…」(左)や「赤ちゃんからお年寄りまで」(右)などのテーマ別の展示が加えられていた

<「こんなに通い詰めたのは7年ぶり」>

実家の茶の間のでは15日からの3日間、いつも10人を超えるお当番さん、地域サポーターの皆さんが写真展の仕上げ作業を続けてきた。それもこの日が最後とあって、どこかホッとした雰囲気が漂っている。「こんなにここに通い詰めるのは、7年前の開所準備の時ぐらいかしらね」と河田さんが言うと、「ホント、住み込みみたいでしたよね」などと軽口をたたきながら、それぞれの作業を仕上げることに余念がない。

写真=デザイン力のある高見久美子さんがポスター作製中(左)、高見さんが作った型紙を基に「ある日の茶の間」のポスターを仕上げる長島美智子さんと渡部明美さん。「私たちは型に合わせて塗り絵をすればいいの」との軽口も― 

この3日間、写真展の準備に毎日多くの当番さんと地域サポーターの方が実家の茶の間に「出勤」した。その甲斐あって、明日18日(月)には晴れて写真展のオープンを迎えることができる。

<青空記者の目>

 今回、新たに気が付いたことだが、玄関わきの「地域共生社会のみちすじ」のパネルコーナーの上段には、いくつもの表彰状が写真展用に並べられていた。河田チームのこれまでの活動(有償の助け合い「まごころヘルプ」―「地域の茶の間」―常設型の茶の間である「うちの実家」―「実家の茶の間・紫竹」など)が評価され、地元の新聞社や自治体、霞が関などから表彰を受けたもので、最も古い表彰状には平成3(1991)年の日付があった。河田さんたちが受賞歴をここで一覧的に示したことには訳があった。

写真(左)=「地域共生社会へのみちすじ」のコーナーの上段に掲示された表彰状。その右端には「平成3年9月」に地元の新潟日報社から授与されたものがー(写真右)。3期続いた長谷川市政初年度のことだ

 一つは「これまでの活動に関わったみんなが受けた賞であるから、写真展を見に来られる皆さんにもそのことを知ってもらいたい」からだが、実はもう一つ大きな理由があった。河田さんはこう言う。「私たちの地域での助け合い活動は、30年以上続いています。それは介護保険制度ができる前から。もちろん国が地域包括ケアを言い出す前からですよね。新潟市で言えば長谷川(義明市長の)市政が始まって間もなくからです。どなたが市政を担っても、新潟市の一つの流れとして活動が続いてきたことを皆さんに知っていただきたい」と。この点については、記者もいっとき市長職を担っていた立場として同意できる。新潟市が河田さんたちの活動を支援していたのではなく、むしろ「幹部研修」に「うちの実家」を活用させていただくなど、「お世話になっていた」感が強いからだ。

 さらに河田さんは「そして今、国が『地域共生社会』を言い出しました。そのことは、私たちが長く追い求めてきたもので、その大きな目標をこの2、3年で仕上げていく―そんな大事な時にきていることを、大勢の方に知ってもらうことが大事だと思っているんです」と続けた。「実家の茶の間・紫竹」の活動7周年を記念する写真展は、単に7年の歩みを振り返るだけでなく、河田チーム30年余の歩みを踏まえつつ、地域包括ケアと実家の茶の間の「これからを考える」中身の濃いものになりそうだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました